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熊本家庭裁判所八代支部 昭和56年(家)135号 審判 1981年8月07日

申立人 山内タツ子

事件本人 米田洋 外一名

主文

事件本人米田洋、同米田昭治の各親権者を、本籍熊本県八代市○○○町×××番地亡米田正義から申立人山内タツ子に変更する。

理由

一  申立人は主文同旨の審判を求めた。

二  申立人は当初米田正義(以下「正義」という)を相手方とし、事件本人二名の親権者を相手方から申立人に変更する旨の調停申立をなしたのであるが、正義は入院加療中のため出頭することなく昭和五六年五月八日死亡したため、同年五月二二日申立人より調停事件の審判移行ならびに申立の趣旨の変更申請がなされたことは本件記録上明らかである。

三  ところで、親権者変更事件においては親族が子に代つて親権者の交替を申立て、家庭裁判所がその申立に基づいて子に親権者を与えるものであると考えるのが相当であり、審判をもつて本来の手続とすべきもので、調停はいわば付随的な手続であるといわざるを得ない。

さすれば調停手続において相手方が死亡した場合には相手方である単独親権者の死亡と同時に調停は不能となるが、調停の不能は事件そのものまでを終了させるものでなく、単に調停が成立しないものとして調停を終了させるに止まるものであると解せられるので、調停不成立の措置を執り事件を審判手続に移行させ審理することが然るべきものと思料される。

四  よつて審案するに

1  当庁調査官の調査報告書、照会書(回答部分を含む)、書記官の報告書、戸籍謄本等を綜合すると次の事実が認められる。

イ  申立人と事件本人二名の親権者正義は昭和三五年五月三日結婚し(同年七月二〇日届出)、その間に事件本人二名の男子をもうけたが正義は女性関係が絶えず何かと暴力を振うので、申立人としてもこれこ耐えられず昭和四五年九月八日熊本家庭裁判所八代支部に離婚の調停申立をなし、同四六年一月一八日申立人と正義は離婚する調停が成立した

その際事件本人二名の親権者を正義とし、監護養育を申立人がすることになり正義が事件本人二名の養育費を支払うこと、親権者ならびに監護者については、事件本人らが中学卒業時において別途協議するということで申立人が事件本人二名を引取り申立人肩書地に居住し、以来今日まで申立人が事件本人らを監護養育している。

ロ  事件本人らの親権者の問題については事件本人洋から高校進学する際に、高校卒業後に話し合いたい旨の申出があつたので申立人としては現状のまま過して来たが、洋が就職するのを機会に事件本人らが親権者を変更したいという希望から、昭和五六年三月二〇日事件本人らの親権者変更の調停申立をなした。

ハ  上記親権者変更の調停は第一回期日として昭和五六年三月二五日指定されたが、相手方である正義は同年二月二一日から○○綜合病院に肝臓治療のため入院中で調停期日に出頭できず、同人の病状回復をまつて調停をすすめることとし期日を追つて指定として続行したが、同人は同年五月八日肝臓癌のため死亡した。

ニ  申立人は正義と離婚後肩書住居地で日雇等をしながら生活し、近隣の援助協力を受けつつ事件本人らを監護養育し、かつ今後も積極的に監護養育する意思を有しており、事件本人らも申立人との生活を希望し母子協力しあつて生活している。

2  ところで父母の離婚による一方当事者の親権喪失は共同親権の円滑行使が期待できないことに基づくものであつて、必ずしもその当事者の不適格を前提とするものでないこと等からみて、単独親権者が死亡した場合に親権者変更の審判をするについては一方当事者が親権者として適格であれば審判により親権者となりうると解するのが相当である。

本件においては前記認定どおり親権者正義が死亡したことにより申立人を事件本人らの親権者に変更するについて、申立人は正義と離婚以来今日まで事件本人らの恰も事実上の親権者の如く監護養育に専念してきており、かつ親権者としても真に適当であると認められ、また母子としての情を継続しているのであるから、申立人を事件本人らの親権者とすることが同人らの福祉に合致することは明らかである。

五  よつて主文のとおり審判する。

(家事審判官 河上元康)

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